第4話〜貧乏生活の実態〜

梅津アナ「それにしても。斎藤アナの場合は最初から父親がいない、という事で。もう貧乏仕方なし、っていう感じが。」

斎藤アナ「助かったのは・・・。東京だったら大変ですよ。しかも家が賃貸だったりしたら。もう暮らしていけない。完全に生活保護です。地方で、ボロいけれど家があると、そんなにお金はかからないですから。持ち家だったんです。」

梅津アナ「ん〜、家があるのは大きいね。」

斎藤アナ「これがもし、東京だったら・・・と考えたら恐ろしいです。」

梅津アナ「うちなんか親父がいるのに何で貧乏だったんだろうと思う。だって、貧乏ながらも喫茶店をやって、それなりに暮らしていたんだけれど。そのうち喫茶店も止めちゃって、いくつか仕事を変えていたんだけれど。半年くらい家に帰ってこなかったりね。その間、お金が一銭も入ってこなかったりして。”あ〜、やっと金が入って来た〜”と思ったら。5万とか7万とかで。そういうサラリーでね。その頃、俺が高校くらいの時に住んでいたのが、東京都内江戸川区とは言え、3部屋ある部屋で家賃が3万8千円だったんだ。もうそれくらいじゃないと暮らせなかった。」

斎藤アナ「よく探しましたね。」

梅津アナ「うん。でも大家さんが、息子夫婦のために家を建てたいって事で追い出されてしまって。そういう追い出され方を2回したね。」

茅原アナ「男の子って、家の経済事情を結構知っているんだ。うちはいくらもらっているとかって見ないようにしていた。」

八塩アナ「そう、何だか悪いような気がして」

斎藤アナ「うちの母親はパートみたいな感じでしたから。月収が額面で13万とかだった。いくらその当時とは言え。」

梅津アナ「それで一家を支えていた。」

斎藤アナ「で、ここで子供の頃から知っていた”遺族年金”っていうのがいきるんです。」

梅津アナ「逆に生きていたのがいけなかったのか、うちの場合?!(笑)」

斎藤アナ「そうですね〜、父親が死んで、葬式の次の日、母親と一緒に香典数えていましたし。」

八塩アナ「でもさ、男の子はそういう事の一員として認められますよね。女の子の場合、やっぱり”見ちゃいけない”っていうか。」

茅原アナ「私達からすると、母親が辛い顔を人には見せないんだけれど、影で泣いているのはわかるわけよ。そこが女の子としては辛いよね。何もしてあげられないから。」

梅津アナ「俺が高校大学の時に、また違うバイトをしていたっていうのが。昼はトラックの助手席に乗って、晴海埠頭とか日の出桟橋とか竹芝埠頭に行って、船から出たゴミをトラックに積んで夢の島に捨てるっていうバイトをしていた。それが終わると、そのまま竹芝桟橋にいて。伊豆七島から船が帰ってくるでしょ。で、その船の客室・トイレ・甲板を掃除するバイトをしていた。それを1日やるとね、1日で9000円くらいになるんだ。(一同驚き・・・)それを夏休みなんかに毎日やると、親父より稼げるっていう、何だか異常な世界だった。」

斎藤アナ「他にバイトっていうと?」

梅津アナ「ウイーン少年合唱団のコンサートの楽屋番とか。世紀魔のステージ係とか。」

斎藤アナ「いいじゃないですか。」

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