小僧物語・第10話

  〜健康にいい?モンキーバナナ入浴法について

 いつかはやるだろうと思っていたことをついに詩央がやってくれた。いろいろな育児経験談を読むと、必ずといっていいほど親が経験することだ。

 それは11月10日のことだった。いつものように風呂の支度をし、いつものように詩央を裸にしたあと僕も裸になった。詩央を抱き上げていつものように湯舟につかった。湯舟の中には詩央のお風呂友達である『スイスイミッキーちゃん』がいつものように浮かんでいた。興味を持ったものには何でも手を伸ばして掴み口に持っていく詩央は、いつものように「アー、アー」と言いながらミッキーちゃんを手に取ろうとした。やたらと『いつものように』という表現が多くなっているが、本当にここまではいつもと何も変わらない、父と子の入浴の姿であった。

 ところで、わが家の風呂には詩央の体を洗うための黄色いスポンジが用意されている。いつもそのスポンジもミッキーちゃんと一緒に湯舟に浮かべているのだが、これまたいつものようにその場に浮かんでいたのだ。

 しかしその日の黄色いスポンジはいつもよりも細身で、まるでモンキーバナナのようであった。僕は詩央がスポンジを掴んで、おまけに引っぱって裂いてしまったのだと思い、

「おまえェ〜。自分の体を洗うものを手荒く扱うなよなぁ」

と、極めて穏やかにたしなめたのであった。

 ちなみに僕の視力は裸眼で両方とも0.1以下である。風呂にはいるときは眼鏡をかけないので、15センチ先のものすらその輪郭がはっきりしないのだ。

 で、そのモンキーバナナと化した黄色いスポンジを見ていて気が付いた。スポンジにしては海綿状の穴が開いておらず、妙に滑らかな表面なのだ。おやっ、と思って顔を近づけて僕はようやく事の重大さを理解し、次の瞬間にはもう大きな声で妻を呼んでいた。

「かーちゃん、来て、来て!こいつ、ついにお風呂でうんこしたぞ!」

 そうなのだ。それはスポンジの破片などではなく、紛れもない詩央のうんこだったのである。

 妻はあたかも駅前のスーパーで『お買得!Lサイズたまご1パック89円!お一人様1パック限り。先着1500名様限り!』のコーナーに突進していくかのような勢いで浴室まで駆けこんできた。

「どれどれ!うわ〜っ、固形うんこだぁ!ガハハハハッ」

と妻が豪快に笑いとばしたあとで、手汲みの桶でそのうんこを持ち去りトイレに消えていった。

 その一言で僕もようやく気付いたのだが、詩央の固形うんこを見たのはその時が初めてだったのだ。念のため妻にもきいてみたが、やはり前例がないという。前にも書いたようにそれまでの詩央のうんこはほとんどねりからしのような状態で、おむつの中でねっとりと詩央のお尻に密着し、とーちゃんによるおむつ交換作業を非常に困難なものにしている。それがついに固形うんこデビューを飾ったのである。おまけに風呂の中でだ。

 あっ、そうそう、育児雑誌の読者の意見コーナーで、

『姑が4ヵ月の息子を風呂に入れていたらお風呂の中でうんちをしてしまった。そしたら姑に、「まあ、母親の躾がなってないから、こんな粗相をするんだねぇ」とイヤミを言われた。アッタマにきちゃう!』

なんていうのが出ていたな。嫁姑戦争の火種になりかねないんだから、赤ちゃんの風呂場でのうんこというのはまさしく国連の大量破壊兵器査察並みの出来事だ。

 こういう姑の意見は言うまでもなく言いがかりもいいところで、赤ちゃんにはうんこをしていいところといけないところ、なんていう認識なんかない。母親がどんなに偉大な人格者であろうとも、躾に厳しいばあちゃんが幾度となくたしなめようとも、赤ちゃんはところ構わず屁もたれればうんこももらす。詩央はこの『浴槽脱糞事件』前の数日間はふんづまっていたから、通常パターンなら大量破壊うんこビチビチ風呂になっていたはずだ。それがモンキーバナナの固形うんこで被害を最小限に食い止めたわけだから、対人地雷撲滅キャンペーンに匹敵するノーベル平和賞もののうんことして感謝こそすれどうして非難することなどできようか、いやできない。


 詩央のモンキーバナナうんこに対してあやしげな一人反語でしばし感慨にふけっていると、突然自分が置かれている目下の状況というのを冷静に考えてしまった。ビチビチうんこに染まった風呂ではないにしても、かわいい息子のうんこであったにしても、一度はうんこがプカプカ浮いた風呂に僕と詩央とスイスイミッキーちゃんが全身を浸しているのである。

「ま、後でちゃんと体を洗って上がり湯をかければなんの問題はないからな」

と一度は入浴続行を決意した。しかしここでふと、詩央の『何でも口に持ってっちゃう病』が頭をよぎった。つまり、うんこ風呂につかった自分の手あるいはうんこ風呂のお湯をたっぷりと吸い込んだスイスイミッキーちゃんを口に入れてしまう可能性が大いにあるということだ。僕は別に潔癖症なわけではなく、また詩央を必要以上に抗菌・除菌・殺菌の中で育てて無抵抗力野郎にするつもりもない。が、さすがにうんこ風呂のお湯が詩央の体内に混入するというのはいかがなものか、これを容認しては父親失格なのではないか、明日からお天道様に顔向けできないのではないか、との結論に達したのでありました。

 幸い生後しばらく使っていたベビーバスに上がり湯用のお湯を張っておいたので、詩央は久しぶりのベビーバスの中できれいなお湯につかることができた。5ヵ月を目前にして10キロの大台に乗ろうかという詩央にはさすがにベビーバスは窮屈そうに見えたが、本人はうんこをしたあとのスッキリ感も手伝ってか至って快適な表情を浮かべていた。一方のとーちゃんはというと、中途半端な暖まり方をしていた上、裸のまま浴室で詩央の体を洗い続けなければならず、今度は鼻水が詩央の口にたれてしまうんじゃないかという、新たなる脅威との戦いを余儀なくされていた。(1997.11.11)

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