小僧物語
〜妻のお出かけはとーちゃんにとって大事件なのである。
父親ならば誰しも、口では「いいよいいよ、とーちゃんにまかせなさーい」と言いながら、いざその時が来るのを心のどこかで恐れている、そんなことがありますね。そう、それは『妻のお出かけ』なのであります。そして我が家にはその時が12月13日土曜日に訪れてしまった。
妻の友人である元アトランタオリンピック女子バスケットボール代表原田裕花が、引退後の仕事の一つとして小学生や中学生にバスケットボールを教えるクリニックをやっていて、つきましてはその仕事を手伝ってはくれないか、ということであった。
最初にその話が来たときに妻ははなはだ申し訳なさそうに、
「あのね、ユカがクリニックの仕事、一日手伝ってくれっていうんだけど・・・」
と僕に告げた。
「いいじゃないか。バスケットの仕事ならどんどんしなさい!小僧はとーちゃんがちゃんと面倒見るから。ユカによろしくな!ハーッハッハッハッ!」
と僕は豪快に笑いながら快諾したのであった。しかし、心の中の不安は言うまでもない。その日は何があっても、とーちゃんの最終兵器である「かーちゃん、ちょっと来てくれーい!」という技が使えないのである。
そんな僕の心を察してか、あるいははなから任せきりには出来ないと思っていたかは定かでないが、妻はあらかじめ『ぼんず(ぼうず、の転訛)の食事』というマニュアルを作成し、なおかつ離乳食を作って冷凍保存してくれた。
その『ぼんずの食事』マニュアルの概要は以下のとおりである。
1)ミルクはほぼ4時間おき。1回200〜250cc。粉ミルクスティック1本は 100cc。
2)離乳食は朝のミルクから4時間後くらいにあげる。ただし機嫌がいいとき。
3)午後になってぐずるようならリンゴ果汁をあげる。1回50ccまで。
追記)天気がよければ散歩にでる。
「さすがわが妻!これさえあれば完璧だ!」
と思う反面、ちゃんと散歩についての要求を出すあたり手抜きを許さないという厳しい姿勢もうかがえた。

ともかくも、いよいよその日がやってきた。妻は朝5時30分という早い時間に家を出て行った。詩央と二人きりの一日が始まった。
平日は毎日夜中の3時前に起きている僕は、休みの日ぐらいは朝日がのぼってから起きたいと思っている。しかし、赤ん坊はそんなとーちゃんの気持ちなどお構いなしである。妻が出掛けてからものの10分もたたないうちに詩央は僕の隣で目をぱっちりと開けて、
「ウー、ウー、アーアー」
と、自分のくまちゃん枕にむかって話しかけていたのである。
「しょーがねぇーなぁ。じゃあ、起きるか」
としぶしぶ起きては見たものの、夜中の4時くらいに一度妻がおっぱいをあげていたのでまだミルクには早かった。しかもそんな時間からギター弾いて遊んでやるわけにもいかず、僕は詩央を抱えながらパソコンの電源を入れてしばらくインターネットで遊んでいた。そして最悪なことに、その時僕の下腹部には、まごうことなき大きい方の便意がわだかまっていたのである。トイレに連れていくと置き場所に困るし、だっこをやめようとすると「ビーッ!」と泣き出すので我慢を強いられるのだ。おまけにだっこしてやると喜んで足をバタバタさせるものだから、それが下腹部への刺激となってなお辛い目に会う。インターネットどころの騒ぎではないのだ。
空が少し明るくなってきたところでパソコンをやめた。時計を見ると7時であった。詩央の情緒もその時間にはやや安定してきたようで、居間にひとりで座らせても泣かずにプレイジムで遊び始めた。すでにひとり座りもずいぶん安定していたのだが、ちょっとした動作の勢いであらぬ方向に倒れ込む可能性が高いので、クッションの包囲網は欠かせない。ここでトイレに行くという選択肢はあったのだが、ミルクの時間である。親なんてものはどうしても自分のことよりも子供のことを優先させてしまうのですね。
詩央は母乳だけで育ったため、我が家では無用の長物となっていた『調乳ポット・水から6分』がついに日の目を見ることになった。このマシーンは水を6分で調乳に最適な60℃に温めたうえ、保温するというものである。このポットから哺乳瓶にお湯を200cc入れて、スティックの粉ミルクを2本溶かす。瓶を軽く揺らすとサラッと溶けていくので見ていて気持ちがいい。人肌くらいの温かさに冷ましてからいざ授乳である。

これまでの経験から詩央は哺乳瓶の乳首からは絶対にものを飲まないのがわかているが、父は一縷の望みを捨ててはいなかった。とりあえず乳首を瓶にセットして詩央に与えてみたのである。結果は惨敗であった。詩央はそこに自分の栄養源があることはわかっているようで「アーアー」といいながら瓶に手を伸ばすのだが、どうしても乳首に吸いつかない。哺乳瓶が使えるようになると本当に楽なのだが、ここで父はいつものとおりにストローを出すことになったのである。ミルクを哺乳瓶からストローで飲む赤子の姿というのは、物悲しいものがある。
ミルクが終わったあとしばらくおもちゃで遊んでやると、やがて「フニフニ」とか細い泣き声を出しながら目をこすり始めた。これは午前のお昼寝サインだと思い、っだっこして揺らしてやるとすぐに寝てしまった。8時であった。クッションの上に詩央を寝かせて僕はようやくトイレにかけ込んだ。生きててよかった〜と思う瞬間である。あとは詩央が寝ているあいだにどれだけ自分のことが出来るかの勝負だ。トイレの次は飯を食わねばならない。桜えびの甘辛焼き玉子とじという謎の思いつきメニューで御飯をかっこむと時間は8時50分。よし、これはいい調子だとニンマリと怪しい笑みを浮かべつつシャワーを浴びる。着替えて髪を乾かしたところで9時20分。詩央はまだ寝ている。これならあと1時間くらいは寝ているかもしれないと思って僕も横になろうとした。しかし世の中そう甘くはなく電話が鳴る。詩央が起きる前に電話を取らなくてはとダッシュで受話器を取る。妻からであった。
「もしもし、大丈夫?」
「うん、大丈夫大丈夫。いま小僧は寝ているところだ。」
「そう。それなら一緒に寝てなさい。」
「そうしようとしてたら電話が鳴ったんだよ。」
「あっ、ごめんごめん。」
「まあ、大丈夫だから安心して稼いできておくれ。」
「うん、また電話する。」
と言われて、もしまた寝ようとしたところに電話がなったらやだなぁと思ったのだが、
「やめてくれ!電話だけはしないでくれ!頼む!」
と言うとなにやら妻のいぬ間によその女でも連れ込んでるようなのでやめた。もっとも赤ちゃんがいるところにみすみす連れ込まれるような女もいないだろうけど。
電話のおかげで寝る気もなくなったので、詩央を散歩に連れていく準備をして詩央の目覚めを待つことにした。そして10時少し前に詩央が起きたのでだっこひもに詩央をくくりつけて散歩に出た。

うちの近所にはジョギングにはもってこいの農道コースがある。妻がまだ国体に出ていた頃はよく二人で走った道だ。冬の農道はスッカラカンの栗林と刈り尽くされた田んぼが寂し気であった。しかしそこは人通りがなかった分まだよかった。僕はそのまま駅前まで出てスーパーに入った。どうもオヤジが一人で子供をだっこひもにくくりつけて歩いている姿というのは、哀れみの眼差しを浴びせられるものらしい。なにか見てはいけないものを見るような、それでもちょっとどんな人か見てみたいというような視線の中を歩くことになった。世の中いろいろな事情の人がいるのだから、男が一人で子供を散歩に連れていてもいいではないか!女性がそういう目で見ると、結局男の育児参加に恥じらいが生じることになるんだぜ!いずれ子供の世話をするのが大好きという父親諸氏と『全日本父と子の公園解放連盟』を結成して、世の中の公園をとーちゃんと子供のものにするのだ!と、愚かな決意を胸に11時半に帰宅。さすがに10Lを抱えたまま1時間半も歩くと腰に響く。だっこひもをはずした後の初めの一歩が雲にも届きそうなほど軽やかであった。
その軽やかな足取りで、冷凍庫から詩央の離乳食を取り出しレンジで解凍した。離乳食を作るという作業がなかっただけでも妻に感謝せねばならない。その日のメニューはマッシュポテトぐちゃぐちゃでろでろバージョンとすりおろしりんごのヨーグルトあえであった。解凍がうまくできたかどうか試食しなければならないのだが、解凍はちゃんと出来ていたものの、味がなくてとにかくまずい。超うす味の超さっぱり味なのだ。
「お前、こんなもんよく食えるなぁ」
と感心しつつ詩央に一さじ一さじ与えてみると、これがまあ気持ち悪いぐらい良く食べる。あっという間にそれぞれのメニュー1カップずつたいらげてしまったので、ここでとーちゃんは本日2度目のミルクを作るのであった。
離乳食のあとなので今度は200ccも飲まないかもと思ったが、念の為200cc作ってみた。5分後には哺乳瓶は空っぽになっていた。僕と妻は食事のときに皿の上にあるものは残すことなく最後まで食べ尽くしてしまい後悔することが多い。残して翌日にまわすということが出来ない性分なのだ。詩央もその血を完全に引き継いでいるようだ。
食事の後、しばらくは詩央に『ぶんぶん抱え回し攻撃』や『ひゅーん抱え落とし攻撃』を加えて遊んでいた。たとえお気に入りの遊びであやしてもらっていても、ちょっと眠たくなるとビャービャーとグズり出すのだが、この日はとーちゃんに気を遣ってか、わずかばかり「フニィ」という声を挙げただけで、1時過ぎにまた眠ってしまったのだ。
「うわーはっはっ。かーちゃんがいなくても子供は御機嫌なもんさ!とーちゃんは偉いのだ!」
と、妻のマニュアルで動いていることなどすっかり忘れ一人で悦に入っていると、この連載の原稿を一つ仕上げなくてはいけないことに気付いた。赤ちゃん雑誌の表紙の撮影をした時の話である。ここでまたパソコンを立ち上げて暗〜い執筆作業へと突入したのである。
これまた詩央はとーちゃんを気遣ってか、その原稿を仕上げたところで、
「ホンギャー」
という叫び声と共に目覚めた。原稿書きの途中で「ホンギャー」をやられるとこっちも対応の仕方が変わってくるのだが、ちゃんと作業を終えたところで目覚めると詩央が妙にいい奴に思えて、デロデロばか親父となって遊んでしまうのであった。
結局その日は詩央は概ね「いい子ちゃん」にしており、とーちゃんを煩わせることがなかった。その後も5時20分から30分ほど寝てくれたので、詩央の世話以外でその日のうちにやっておきたかったこともほとんどやれてしまったのである。
妻から「7時くらいに駅に着く」という電話があったので、僕はまただっこひもで詩央を抱えつつ駅まで迎えに行った。周囲の哀れみの視線は相変わらずであったが、妻が僕の姿を見た時に指をさしてゲラゲラ笑ったことに比べればたいした問題ではないように思えた。
世の中のおかーさん達、たまには旦那に子供を託して出掛けてみよう!ただしその際はマニュアルを書き残すこととだっこ姿を見ても笑わないことが肝心である。
(1997.12.22)
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