小僧物語・第15話

       〜初めての断髪式で本当にさっぱりできたのであろうか?

 12月17日、詩央6ヵ月である。あっという間に半年もたってしまった、という気持ちと、あっという間にこんなに大きくなっちまって、という気持ちと、そしてこいつはいったいどんな大人になっていくのだろう、という一抹の不安がある。考えてみれば僕だって29年前はこんな物体だったのだ。それがこんなフラフラしたテキトーな大人になってしまった。今は「アー」とか「ウー」とか言いながらとーちゃんかーちゃんに甘えてばかりの詩央も、いつかは、

「おやじよぉ、もう少し大人になったほうがいいんじゃないの」

とかなんとか僕に説教する日が来るのだろう。まあ、詩央に言われなくてももう少し大人になったほうがいいなぁと思うことが多い今日この頃である。

 ついこのあいだまで詩央の一番の興味の対象は、色がはっきりしていて大きい目玉がついたぬいぐるみであった。ほったらかしていても近くにぬいぐるみをふたつみっつ置いておけば、一人で勝手にぬいぐるみと話をしてたり手を伸ばして遊んでいた。

 今、詩央の一番のお気に入りはテレビのリモコンとチラシである。何を与えてやろうとも、リモコンやチラシがひとたび視界の中に入れば、そっちのほうに向かって飛んでいこうとするのだ。体が重いためかまだハイハイができない詩央は、まず首をひねってリモコン方面に狙いを定めて、体を翻して目標物に向かって本当に『飛んで』いこうとする。懸命に腕を伸ばしてリモコンをつかみ取ったが最後、リモコンはデロデロのよだれ漬けにされてしまうのである。チラシの方はさらに始末が悪い。ビリビリに引き裂かれ、そこらに散らかされ、しまいにはよだれで濡れチラシになっているのだ。さすがにインクがあまり体にいいものじゃないだろうというのでチラシはなるべく片付けるようにしているのだが、そうなると今度は雑誌を代替物ととらえて飛んでいこうとする。わが家のリビングでは『印刷物完全撤去条例』が適用され、印刷物のポイ捨ては3ヵ月以下の懲役か10万円以下の罰金に処せられるのである。

 まあ、リモコンやチラシのみならず、目新らしいものには何にでも飛びつく、という方が正しいかもしれない。いかにも若者らしい行動である。先日、妹夫婦のところに遊びに行ったときも詩央は若者ぶりを大いに発揮した。妹の家に『てのひらピカチュー』があった。てのひらに乗せると『ピカチュー!』と鳴く身長7センチほどのピカチュー人形である。パッケージには『3才以下のお子様には与えないでください』と書いてあったのだが、

「こんなでかい人形、誤って飲み込める乳児がおったらお目にかかりたいわ!」

と豪快に笑いとばして詩央を遊ばせていた。

 案の定ピカチューをよだれでデロデロにしながらしばらくはおとなしくしていたのだが、突然、詩央ではなくピカチューが、

「ピカチュー!ピカチュー!ピカチュー!」

と連発音吉君状態で泣き叫び出したのである。

「なんだー!なんだー!なんだー!なんだー!」

と、今度は僕がてのひらトーチャンになって詩央からピカチューを取り上げた。どうやら詩央のよだれで中の電気系統がショートしてしまったらしい。妹のピカチューには悪いことをしてしまったが、詩央が感電しなくてよかった。みなさん、おもちゃの注意書きはバカにせずきちんと守りましょう。

 話はいきなり変わるが、6ヵ月を迎えた詩央の髪の毛が、耳を覆うほどに伸びた。前髪はさっぱり伸びてこないのに横ばかり伸びるものだから、まるで落武者のような風貌になってしまった。首の回りに大きめの襟が付いたシャツなどを着させると、なんだか「ピエール君」とでも呼びたくなるような、古典的西洋風芸術家のようにも見えた。外を連れて歩いていると、

「あら、かわいいおじょうちゃんねぇ」

と女の子に見られることもしばしばであった。

 そこでいよいよ「詩央の髪の毛を切ろう!」ということになった。さっそく妻が子供用のバリカン「ぱっくんくらぶ」というのを買ってきた。これはカスタネット状のカニの形をしたカバーでバリカン本体を丸々包み込んで、それで髪の毛を『パックン』とはさみ込むとその部分の髪の毛が切れて、カニのカバーの中に切れた髪が収まるというものである。機能を見事に商品名に反映させていると言える。

 12月17日、まさに詩央ちょうど6ヵ月の夜、栄光の生涯最初の断髪の儀が行われた。

 まず詩央をおすわりさせて、目の前にスヌーピーのプレイジムを置き、詩央の全神経をスヌーピーに集中させておいて、そのスキに髪を切ってしまえという作戦を試みた。指に詩央の髪の毛を挟んで、ぱっくんくらぶを近づけ、スイッチがオンになった。

 詩央の耳元で「ぶ〜ん」というモーターの音が響く。新しもの好きの詩央が興味を引かれないわけがない。詩央はくるっと顔をぱっくんくらぶのほうに向ける。そして目にするものが赤や黄色で彩られた派手なカニの人形なのだ。詩央の目が、

「新しいモン、み〜っけた!」

と言わんばかりに輝き、ぱっくんくらぶに向かってダイブする。

「うわっ、いかんいかん」

とあわててぱっくんくらぶを引っ込めたはずみで、カニのカバーの中に収まっていた切りたての詩央の髪がバサッと床に散らばった。妻が、

「ギャー、あしたの掃除が大変だ〜!」

と声をあげた。ここであきらめるという選択肢もあったが、どうせなら一気に髪を切り終えて一気に掃除機で吸い上げたほうがよいという結論に達した。

 そこで妻は詩央の気を引くための作戦第2弾として、おなかを押すと「パピュ〜ッ」と鳴くピンクのクマちゃんを持ち出して、

「ホラ、詩央、これなに?これ?」

などと言いながら詩央の前で鳴らし始めた。まるで前回登場した赤ちゃん雑誌の成澤さん状態である。

 おかげで詩央の注意はクマちゃんに向き、僕はまた別の場所の髪の毛を摘んで『ぱっくんくらぶ』した。また詩央の耳元でモーターが唸る。そして再び詩央はぱっくんくらぶに向かってダイブする。とーちゃんがぱっくんくらぶを引っ込めるとさらに髪が散らばる。果てしないリフレインの世界が広がる。

 その度に妻がありとあらゆる物を使って詩央の気を引こうとする。一応の成功は収めるものの、どれもこれも詩央にとってはすでに見慣れた物ばかりである。新参者のぱっくんくらぶの魅力には到底かなわないのだ。詩央はとにかくぱっくんくらぶをその手中および口中に収めなければ気が済まないようで、僕が断発作業を続けるのを容易には許さない。僕がぱっくんくらぶの扱いに慣れていないこともさらなる悪影響を及ぼし、詩央の断髪の儀は遅々として進まなかった。

 妻とのタッグマッチでの大格闘の末、どうにかこうにか詩央の髪を切り終わった時にはすでに夜の9時を回っていた。髪を短くした詩央からはにわかに「男の子だもん!」という自己主張が漂いはじめた。ただし顔が無防備剥き出し状態になったために、丸々とした顔がさらに大きく見えるようになってしまったことは否定しきれない。

 翌朝も午前2時45分に起きて会社に向かわなければならない僕の消灯時間はとっくに過ぎていた。しかし、詩央に負けず劣らず新しもの好きの僕は、ぱっくんくらぶの使い勝手がわかったことに気分をよくして、何かもう一仕事したくなってしまったのである。ふと顔をあげて見ると、妻の前髪が伸びていることに気が付いた。

「前髪、切ってあげようか」

と妻に言うと、妻はひるむことなくあっさりと了承した。

 バッサリカット機能とスキカット機能をうまく併用すると、我ながら感心する出来映えに仕上がった。妻も、

「あっ、いいじゃない、いいじゃない。さっぱりした」

と満足気であった。

 しかし、僕の職人としての血のたぎりは静まることはなかった。3人家族のうち、詩央、妻と髪を切ったあと、残るのは自分一人である。僕はおもむろに腰を上げ、洗面台の前に立ちはだかり、自分の前髪と耳の回りの毛を切りはじめた。

 すべての作業を終えたとき、夜の10時半であった。家族揃ってさっぱりした翌朝の僕の目覚めは全くさっぱりしていなかった。

                             (1997.12.26)

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