小僧物語

その2・小僧の名前はいかにして決められたか

息子の名前は『詩央』という。読み方は『しおう』である。しかし僕は『ショーン』 と呼んでいる。この名前は、お腹にいる子が男の子だとわかった時からマックの姓名 判断ソフト「桃源紀行」と格闘しながら決めたものだ。

実はずいぶん昔から自分に男の子が出来たら『春風』という名前にしようと決めて いた。何月に生まれようが『春風』にするのだ、字画がどうであろうと運勢がどうで あろうとそうするのだ、と随分頑なに決意していたのである。ちなみに女の子だった ら『春似』と書いて『はるい』とするつもりであった。だいたい面倒くさがり屋の僕 が占いの本と辞書を引き引き名前を探すなんてことは始めから無理な相談である。

しかし、マックの購入がすべてを変えてしまった。なんてたって「桃源紀行」という ソフトは名前を打ち込むだけで勝手に字画を調べ姓名判断してくれるのである。これ は試しにやってみたくなるではないか。

その結果『梅津春風』君は、総画で見ると「天下統一運」という強い運勢を持ってい るのだが、どうもひとりよがりで孤独な寂しい奴になってしまいそうだったのである 。しかも健康面で「脳や血液の病気に注意」とあった。もし本当にそんな病気になっ てしまったらと考えると採用出来なくなってしまったのだ。ここで『梅津春風』君は 日の目を見ることなく、闇に葬り去られることとなった。

しかし、長い間「これでいくのだ!」と決めていたものが崩壊してしまうと、なかな か代替案というのが出てこない。「桃源紀行」の命名機能を使っても、しっくりと来 る名前が見つからない。そういう時に役に立つのが『逆転の発想』である。

普通親というものは子供に対して何らかの期待を込めて名前を決めるものであろう。 例えば偉大な野球選手になって欲しければ『茂雄』とか、大きな人間になって欲しか ったら『大地』や『宇宙』、立派な音楽家になって欲しかったら『アマデウス』と名 付けるかもしれない。だが、そんな風に親が勝手に子供の人生に期待をかけていいも のであろうか!『茂雄』と名付けた子が「ロックシンガーになりたい!」などと言い 出したら、勝手に期待していたにもかかわらず「子供に裏切られた!」とショックを 受けてしまうのではないだろうか!やはりここは子供に親の期待が見えてしまうよう な名前は付けないほうがいいのではなかろうか!という結論に達した。


ではどうするか?
僕は長年ジョン・レノンに憧れている。崇拝していると言ってもいいかもしれない。 イギリスに行ったときはリヴァプールでジョンが『HELP!』のジャケットでかぶって いたのと同じデザインの帽子を買い、またジョンが使っていたリッケンバッカーのシ ョートスケールの黒いギターのレプリカも30万円近い金を出して購入している。ここ で僕がよりジョン・レノンに近づくために、我が息子にジョンの息子の名前を付けれ ばいいではないか!とふと思ってしまったのである。

この場合考えられるのはジョンと最初の妻シンシアとの間の子である『ジュリアン』 と、ヨーコとの子である『ショーン』の2パターンである。顔だちはジュリアン・レ ノンの方が圧倒的にジョンに似ているが、別に我が子にジョンのような顔になること を望んでいるわけはないし、華々しくデビューしたものの鳴かず飛ばずで消えていっ た人の名前をとるよりも、世界中が注目したジョンとヨーコの子であるショーンを採 用することにしたのであった。

次の作業としては『ショーン』に漢字を当てることであった。まず考えたのは『詩音 』であった。ジョンが残しているいくつかのリトグラフに『慈音』と記されているも のがある。そこで『ショーン』の『ーン』の部分には『音』を当てたかった。しかし 再びご登場願った「桃源紀行」の判断では『梅津詩音』はあまりいい字画の名前では なかった。何が悪かったかというと最後の『音』が9画なのがいけなかった。逆にい うと『梅津詩』までは順調であったのだが、いくら何でも『梅津詩』で止めてしまう と、将来学校の国語の時間に『叙事詩』とか『散文詩』なんて言葉が出てきたときに 「やーい、やーい、梅津詩〜!」
と苛められそうな気がしたので却下した。

「桃源紀行」のさらなる検索の結果、最後は5画にすると完璧な名前になることが判 明した。5画の漢字でもっとも『おん』という音に近いのは『央』であった。ここに いたってついに『梅津詩央』という、総画39の「天下統一運」を持ち、各所に「神 助天恵運」や「立身出世運」をちりばめた素晴しい名前が完成したのであった。

「いい名前が見つかったぞ!」
と妻をマックの前に呼び出したのは、妻のお腹がすでにぽっこりと目立って久しい妊 娠7ヵ月の3月のことであった。
「なに?どんな名前?」
と大事そうにお腹をさすりながら妻がやってきた。
モニターに映し出された『梅津詩央』という文字を見た妻はまず、
「あっ、かわいー名前」
と喜びの声をあげた。

「そうだろう、そうだろう。ここ数週間はずっとこいつと格闘してたからな。その結 果決めた最高の名前だからな」
と僕は得意な顔をして言ったのだが、次の瞬間僕はややハッとすることになる。
「ところで、これなんて読むの?」
するどい、というか考えて見ればごく当り前の質問が妻から発せられた。
「いや、その、ショーン・・・」
「えっ、『しょう』?」
「いや、そうじゃなくてショーン・・・」
「しょう、じゃなくて『しおう』でしょ?」
「うーんとね、まあ、あー、『しおう』にするか、外人っぽく『ショーン』にするか ちょっと悩んでる」

妻は普段から僕のすることにとやかく口を出したり反対したりしないたちなので、こ こで僕が、
「これは誰がなんと言っても『ショーン』と読むのだ!」
と言い切ってしまえばそれはそれで通ってしまったと思うのだが、何せ夫婦の間での やりとりでこうも聞き返されてしまうようでは他人には到底聞き取ってもらえるはず もなく、どうもこれは人として間違っているのではないかと、おぼろげな不安感が漂 い始めた。

結局は息子が生まれて出生届を出しにいく前日に『しおう』にすることに決めた。
何となく言葉の響きが「王様」の「おう」みたいでかっこいいなと思ったことと、将 来息子が大きくなったときに、
「てめー、このクソおやじ!外人みてぇな名前つけやがって!」
と怒られるよりはいいかな、と思ったのがその理由である。

ただ、妻の妊娠中から僕は妻のお腹に向かって「ショーン」と呼びかけていたので、 今でもやはりショーンと呼んでいる。その他「ぼうず」から派生した「ボンズ」とか 「小僧」とか「ぼっちゃん」と呼ぶ。一方妻は正しく「しおう」と呼ぶ。また我が母 は勝手に「シー君」と呼んでいるが、こんなかっこ悪い呼び方は父親として承認でき ないので改めてもらうつもりだ。そういえばまだ詩央が生まれる前は、妻の父親が何を根拠にしてかわからないが「じ ゅんたろう」と呼んでいた。

今はまだ自分をはじめとする世の中のものには名前があるということのひとかけらも 理解していないからいいのだが、いずれ自分は果たして「ショーン」なのか「ボンズ 」なのか「しおう」なのか悩む日が来るような気がする。呼び方を統一したほうがい いかなと思う一方で、混乱するその様子を観察してみたいなとも思う。


ところでもう一つ不安に思うことがあるのだが、息子が大きくなった時、父親がジョ ン・レノンになるために自分が「ショーン」にされたという由来を知ったら、やっぱ り怒るんだろうなぁ。

                              (1997.9.8)








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