26)小僧の高熱による梅津家の騒動について

 11ヵ月の誕生日(って言うのかな)の少し前から、詩央ははなたれ小僧になってしまった。妻がひいていた風邪がうつったようであった。詩央は時折ハナ堤灯などを作ってみせて我々を笑わせていたのだが、以前にも鼻水を垂らして少しせき込む程度の風邪をひいたことがあり、その時も1週間ほどで治ってしまったから少し様子を見ることにしていた。

 5月18日の月曜日、朝のニュースを終えてさっさと帰宅したら、妻が、

「熱をはかったら38度あった」

と言った。詩央をだっこしてみると、確かに今まで感じたことのないような熱っぽさが伝わってきた。しかし詩央を見るとぐったりした様子もなく相変わらず落ち着きなくあちこち動き回り、それに食欲もあるようだった。前の風邪の時もそれなりに熱っぽかった日もあったが、普段と変わりない様子で動き回っていたから医者にはいかなかったのである。

 その日妻は朝一番で教習所の予約を入れていたのでとりあえず行かせて、僕が詩央を見ていることにした。

 妻が出かけて間もなく、詩央は僕にだっこされながらグーグー寝てしまった。時間を見るといつもの昼寝の時間よりだいぶ早かったので、

「さすがに熱で体力を奪われているのだろうな」

と思い、いずれにしても今日中に医者には連れていこうと決めた。

 午前中の昼寝はだいたい1時間以上寝る詩央が20分程で目を覚ました。目覚めはちょっとグズグズしていたが、だいぶ汗をかいていたので水を飲ませるとまた機嫌を直して遊び始めた。おむつを替えようとしたらいつの間にかうんこをたれていたのだが、それもいつもと同じ様なうんこで、とくに柔らかくもなく固くもないというものであった。しかし、体は相変わらず熱っぽかった。

 やがて妻が帰ってきて、もう一度熱をはかってみたら39度になっていた。これはもう限界であると、すぐさま近所の小児科に連れて行った。詩央の小児科デビューである。

 午前の診察時間ぎりぎりに行ったのだが、待合室には誰もいなかった。ガランとしている病院というのは一瞬、

「これは何かヤバいのではないか」

という気にさせるのだが、ここまで来たら四の五の言ってられないのである。

 受付にいくと看護付さんが、

「もう一度熱をはかってみてください」

と、体温計を渡してくれた。

 家で体温を計るときは動き回ろうとして大変なのだが、今まで来たことのないところに連れて来られて、

「何かされるに違いない」

と警戒したらしく、妙に神妙にしていた。脇の下から体温計を引き抜いてみると、今度は38度であった。お母さんに連れられた男の子が一人入ってくると、詩央はそっちの方が気になって仕方ない様子であった。

 すぐに診察室に呼ばれたので妻に詩央を連れて行かせた。朝からの様子は妻のほうがよく知っているからその方がいいだろうと思ったのである。

 診察室の方からギャーギャー泣き叫ぶ声が聞こえてくるかもなぁ、と思ったら、一瞬だけ「ウギャッ」となっただけで、あとは静かなものであった。

 10分もしないうちに妻が詩央を連れて出てきた。

「しっかり風邪ひいてますねって言われた」

と、自分がうつしてしまったことに対する後ろめたさをたっぷりとのぞかせた口調で妻が言った。

 薬をもらって診察料を払った。診察料は1390円であった。僕はここ10数年医者にかかっていないのであまり実感がなかったのだが、医療費負担は確実に増えているのである。

 妻と詩央を家に連れ帰ったあと僕はそのまま市役所に向かい、あれやこれやと必要になった書類をとりに行った。流山市役所の人は結構親切な対応をしてくれるのだが、ひとつだけ文句がある。あれこれと書類を受け取ったあとにトイレ(個室の方)に入ったのだが、和式便所には荷物置場がないので、書類を入れた封筒を口に加えつつ準備作業をしたりなんかして一歩間違うと実印をトイレに落としかねない状況であった。排便に意識が集中できないので、役所の便所には荷物を置くスペースを確保するべきである。

 帰り際に家に電話をすると妻が、

「帰りにイオン飲料を買ってきて欲しい」

と言った。

 僕は何のためらいもなくアクエリアスを買って帰ったのだが、それを見た妻は一言、

「赤ちゃん用のイオン飲料のことだったんだけど・・・」

とつぶやいた。赤ちゃん用品を扱っているところで赤ちゃん用のイオン飲料を売っているようなので、おとーさん達、注意しましょう。

 僕が市役所に行っている間に、詩央は食べたものをものすごい勢いで一度戻してしまったということであった。薬を飲んだあと、詩央は妻にだっこされながらグーグー眠ってしまった。ちなみに赤ちゃん用の抗生物質や解熱剤というのは見事に赤ちゃん好みに味付けされているらしく、必要量を飲み干したあとも、

「もっとくれ〜い」

と泣き叫ぶのであった。

 その日の詩央は汗のオンパレード状態で、何回も何回もシャツを取り替えた。おかげで夜寝る頃にはだいぶ熱っぽさがなくなってきた。そして僕も妻も安心して眠りについたのだが、事態はそれだけではおさまらなかった。

 夜中の1時近く、妻がワサワサとあわただしく動き始めた。何事かと思ったら、詩央の熱がまた上がり、39度になったというのだ。

 その騒動で僕は何となく眠りから覚めてはいたのだが、どうしても起き上がることが出来ずに、モーローとした意識の中で、

「ど〜したぁ〜」

「だいじょ〜ぶかぁ〜」

と言うのが精一杯であった。

 翌日(と言ってもその2時間後の話だけど)妻が、

「ついに座薬を使ってみた」

と言った。薬のおかげで熱が下がり、しばらくウキャウキャと大はしゃぎしてからまた眠ってしまったということだった。またまた僕は安心して仕事に出た。

 その日は柏の銀行に行く用事があったので、会社帰りにそのまま行こうと思っていたのだが、会社から家に電話をすると、

「40度近い熱で、ちょっとグッタリしている」

と言うのである。ただの風邪にしては熱の乱高下が激しいので、変な感染症ではなかろうかと心配になり僕は一度家に帰ることにした。

 グッタリと布団に横たわっている詩央の姿を思い浮かべつつ玄関の扉を開けて、

「詩央は大丈夫か〜っ!」

と叫ぶと、いつものように詩央が玄関に向かって高速ハイハイで近づいてきた。

「なんだ、元気じゃん」

と言うと妻は、

「薬で熱が下がると元気なんだけど、薬が切れるとまた熱がでてくるのよね」

と言った。

 とにかく銀行に行って用事を済ませて再び家に帰ると、ちょうど薬が切れたらしくまた熱が38度以上になっていた。

 妻は小児科に電話をして、どうしても熱が下がらない旨を伝えた。しばらく医者からの質問にあれこれ答えて受話器を置いた妻は一言、

「突発性発疹かもしれないって」

と言った。

 突発性発疹というのは高熱が出て下痢したり鼻を垂らしたり、おまけに熱が下がったあとに体中にブツブツが出来るという、一瞬大変な病気のように思えるが実は赤ちゃんの初めての発熱にはありがちで発疹にもかゆみはなく合併症もない比較的心配のいらない病気だということだ。

 次の日、熱の下がった詩央の体に案の定発疹が出来始めた。僕は取材が夜遅くまでかかってしまい会社に泊まって朝のニュースに臨んだために『ブツブツ詩央君』にはまだお目にかかっていないのだが、本番終了後に妻に電話をしたら、早くもブツブツは薄くなっていて、

「今、グチャグチャと朝メシ食べてる」

ということだったので、僕も会社でこの高熱騒動の顛末をのんきに書いている次第である。しかし、もし僕が未経験のはしかや水疱瘡に詩央がかかったら僕はどうするべきなのであろうか、などということもフト考えてしまうのであった。

                                                                   (1998.5.22)

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