27)絶叫!梅津家の真実

 これまでなるべく笑える話を、面白可笑しく(といってもみんな事実だけど)書いてきた。逆に僕や妻が詩央を叱り飛ばしたりイライラしてあたりちらすような場面は書かずにいた。きっと梅津夫妻はものすごく穏やかで詩央はとても聞き分けのいい赤ちゃんと思っている人が多いかもしれない。

 しかし、僕も妻も人の子。詩央はその我々の子。24時間笑顔の絶えない明るいだけの家庭であろうはずがない。

 生まれてしばらくは詩央も寝たきりの生活だったから、我々の神経を苛立たせることはほとんどなかった。まあ、夜中に腹をすかせて3時間おきくらいに泣くぐらいは、今にして思えば可愛いことだったのである。現在詩央は動き回る。ハイハイであちこちに移動しては下に置いてあるものに手を伸ばし、つかまり立ちをして目一杯背伸びをしては上に置いてあるものに手を伸ばし、そのままつたい歩きをして床の上のものを踏み潰し、ソファやテーブルの上にのっかってはウハウハ喜んで飛び回っているのである。そうして僕や妻が、イラつく、ムカつく、キレる、という三段活用の世界にはまっていくのである。

 詩央のそばにいるとき、

「ショーン君、可愛いねぇ」などと一緒になって遊んでる時間は3割

「てめぇ、こらっ!」と怒鳴り散らしてる時間も3割、

「もう勝手にしな!」と放任状態にしておく時間が4割、というのが平均的であろう。遊んでる時間が減ることはあっても、怒鳴り散らす時間が減ることはほとんどない。

 僕の場合は楽器やオーディオ、パソコンに電話といったものをいたずらされると大変に困るのである。したがって前にも書いたようにギターは全て封印した。コンポを入れているキャビネットにも吸盤を利用して開けられないようにした(最近はその吸盤ごと引っぱってはずしてしまうので無意味になっている)。しかし、パソコンは出したりしまったりするのはあまりにも面倒である。電話もしまうわけにいかないし、電話台の上以外に置き場所もないのでそのままである。そして詩央の格好の遊び道具になってしまうのだ。

 パソコンについては、まず机の脇のボックスに掴まりながら立ち上がってキーボードカバーをはずす。手を目一杯伸ばさなきゃ届かないキーボードを適当にバシバシ叩いて、そのうちキャプションロックされたりしている。しまいにはパワーオンしてパソコンを立ち上げる。キーボードに飽きると今度はマウスに手を出してマウスボールのあたりをペロペロなめたりしている。そして我がマックの画面には見事に爆弾マークが現われたりする。その頃には立っているのにも疲れてきて、机の下のプリンターを引き倒しているのである。

 電話も悲惨な目に会っている。本体と受話器をつなぐクルクルコードはもうビロビロに伸び切っている。しかも通信をつないでいる時に受話器をはずされたりして、やはり我がマックはフリーズしたりするのであった。

 まあしかし、自分のことをしている時にそれを妨害されるということにおいては怒りもそれほどではない。

「ハ〜ッ」

などと深いため息を漏らしつつ、リビングまで連れていって

『おかあさんといっしょ』

だの

『いないいないバア』

のビデオを一緒に見ていれば、また、

「ショーンくん、可愛いねぇ」

の世界に突入できるのだ。

 しかし、おむつを取り替えている時やあるいはゴハンを食べさせている時、すなわち、

「テメーの為に俺がこんなに一生懸命やってんのに、なんでテメーはおとなしく出来んのじゃ、ボケ!」

という状況の時は感情を抑えるのに大変な苦労をする。

 妻の場合もやはり台所で詩央の食事を作っているときに苛立ちが集中する。まな板を引きずり降ろそうとしたり、棚から缶詰やらかつおぶしのパックやらを出して散らかし回るのである。

 そういう場合に、妻か僕のどちらかが精神的にも肉体的にも正常な状態であれば一方が面倒を見ているあいだに他方が作業を遂行することが出来るのであるが、二人ともダメなときはもう最悪である。

 例えば僕が仕事の都合で3時間くらいしか寝られなかった日。

 妻が台所で離乳食を作る→詩央が妻の周りで悪さを始める→妻、苛立ち始める→とーちゃん、眠い→詩央、調子に乗る→妻、さらに苛立つ→寝てたいとーちゃんにイライラが伝染する→妻、余計に苛立つ・・・

というような悪循環にはまっていく。

 一時期は妻が「ダメッ」と叫ぶとおとなしくイタズラを諦めていた詩央も、最近は聞こえないふりして続行するワザを覚えてしまった。

「それだけはやってくれるな」

というようなことを詩央がした時には、僕は詩央の手を叩いてしまうのだが、まさか泣き出すほど本気で力を込めるわけにもいかず、結局は軽快な「パシンッ!」という音と適度な手への刺激で詩央は、

「ウキャキャキャ」

と喜び出してしまう始末である。

「それはすんなっていつも言ってるだろうがっ!」

と怒鳴ったところで通じる相手ではなく、無理矢理にその場から引き離すことでようやく悪さが中断される。しかし、今度は無理矢理中断させられたことでギャーギャー泣き叫ぶのだ。

「落ち着け、落ち着け、相手はまだ子供だ。しかも製造者責任は俺にあるのだ」

と深呼吸を続け、なんとか気持ちを落ち着かせる努力が必要になる。

 こういう瞬間は怒りを通り越して、親として情けなくなってくると言ったほうが正解である。つまり、詩央には大変申し訳ないのだが、正直言うと『親』を投げ出したくなってしまうのだ。

「もう頼むからどっかに行ってしまってくれ!」

という気持ちと、

「自分の子なのになんでこんな風に思ってしまうのだろう」

という気持ちが複雑に交錯し、頭の中は爆発寸前、という状態になっている。この時はもう詩央が何をしてようがお構いなしで、ひたすら自分の精神世界の葛藤を見つめるだけである。どの家庭も似たようなものなのか、それとも自分が大人になっていないだけなのかはよくわからないが、とにかくそういう時間が精神的に一番辛い。

 しかし、それくらいの時間になると詩央もイタズラに飽きてきて、

「フニャ〜ッ」

と足にしがみついて甘えてきたり、おもちゃの笛を口にくわえて、

「プ〜ピ〜、プ〜ピ〜」

などと鳴らして遊んでいるのである。

 そして、自分で鳴らした笛の音に喜んでウハウハと手足をバタつかせている姿を見るに至ってようやく、

「ショーンくん、可愛いねぇ」

という世界に戻れるようになるのである。

 結局は子供のここ一番の笑顔に完封負けを喫するのであるが、いつの日か詩央に、

「とーちゃんにはかなわない」

と言わせ、逆転勝ちに持ち込んでやるのだ。そのために僕は僕の人生を精一杯生きていくのだ(遊びも含めてね)。

                                                                    (1998.6.1)

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