28)あっという間の一年であったのだ
6月17日に詩央は無事1才の誕生日を迎えた。目下のところ詩央は身長80cm、体重約12キロと、やはり標準よりも大きめの小僧として存在している。この一年で身長は30cm、体重は9キロ増えた計算になる。
一月ほど前から随分足腰がしっかりしてきて、なにも掴まるものがなくてもスクッと立ち上がり、そのままヨチヨチと歩くようになった。僕が目撃した最高歩数記録は10歩であるが、妻は12〜3歩歩いたところを見たと主張している。ただ、歩き方は相当フラフラしていて、イメージ的には「アホの坂田」が「あ〜りが〜とさ〜ん」と言いながら歩いている姿にも似ているし、あるいは欽ちゃんが「続いては江戸川区の匿名希望さんのさくひ〜ん」と葉書を紹介する姿にも相通じるものがある。
1才の誕生日を機に、詩央のおもちゃ並びに洋服がまた爆発的に増えてしまい、ますます収拾のつかない家になっている。僕がまたがって遊べる自動車を買ってやった翌日に、知り合いからこれまたまたがって遊べる積み木トラックを頂いてしまったおかげで、詩央は1才にしてセカンドカーを所有する身分になってしまった。絵本の類も随分と頂いてしまったのだが、それらは本としてのなともな扱いを受けることなく、詩央によって次々と食いちぎられている。
1才になった記念に妻の実家に送ろうと、この一年撮り溜めしたデジタルビデオをVHSに編集した。ビデオの購入が遅れたために最初のシーンは2ヵ月の詩央が妻に抱かれているという場面であったが、一瞬妻はどこの子供を抱っこしてるのだろうか、と本気で???状態に陥ってしまったほどブクブクのデブベビーの姿がそこにあった。
「ちょっと引き締まってきたよね」
と妻と話し合っていた6ヵ月過ぎの映像でもやっぱり迫力のデカベビーが登場した。あまり変化がないと思っていたここ1〜2か月の姿でも、現状とはかなり違って見える。まったく子供の成長というのはたいしたものだなぁ、と改めて痛感した。

それにしても一年前は上を下への大騒ぎだった。
詩央の予定日は6月25日であった。臨月に入ってから受けた検診ではほぼ予定通りの誕生になるだろうということだったのですっかり油断していたら、6月15日に妻が軽い破水を起こしたのである。なにもかもが初体験である僕はあわててタクシーの手配をして妻を病院にやり、仕事に出た。
結局は、
「まだまだ子宮口も開いてないし、羊水もたっぷりあるからあと1週間ぐらいは大丈夫」と言われ、妻は入院セット一式が入った紙袋を下げて家まで帰ってきたのである。
しかし翌16日、妻は頻繁にお腹が張るのだと訴えた。後から思えばそれが陣痛だったのだが、やはり初めての妊娠である妻には、一体どんな痛みが陣痛なのかがよくわからなかったらしい。そのお腹の張りは夜が近づくにつれ間隔が狭くなっていった。夜の7時くらいに妻は友人と電話で話していて、
「うわっ、また来た!イタタタッ」
などと言っていたのだが、その間隔は30分置きくらいになっていた。その後病院に電話をして現状を説明すると、そのお腹の張りが5分おきくらいになったら病院に来てください、と言われた。
しばらくベッドの上で、僕はノートとストップウォッチを持ってきっかりと間隔を計っていたのだが、考えてにればわざわざストップウォッチで秒単位まで計らなくてもよかったよな。
夜中の12時近くについに5分間隔になったので、また病院に電話をして今から行きますと告げた。前日に妻が持ち帰ったままになっていた入院セット袋を持ち、妻を支えながら車に乗せて病院に向かった。日中は少し混雑する旧水戸街道もその時間はガラガラで病院までは10分もかからなかった。しかしその間にも妻は何度かお腹の張りに襲われていた。

病院に着くと看護婦さんがまず病室に案内してくれて、
「これに着替えてくださいね」
と白く薄い寝巻のようなものを妻に手渡した。着替え終わった妻はそのまま分娩室に入っていったのだが、やはり出産素人である僕は、
「きっともう生まれるのかどうか一度検査をするに違いない」
と思って、なんとなく所在なく分娩室の前にたたずんでいた。
しかし、1時間たってもまるで検査の結果を告げに来る様子がなかったので、僕は母親に電話をした。
「あのさ、今病院にいて、いきなり分娩室に入ったまま出てこないんだけど、何してんのかな?」
「そんなもん、分娩室に入ったら分娩してるに決まってるでしょ!」
その母親の一言でようやく今妻が出産体勢に入っているということに気が付いたのであった。
電話を切って再び分娩室の前に行った。2時近くにようやく看護婦さんが一人分娩室の中から出てきて、
「あっ、ご主人ですか?」
ときいた。
「多分お昼ごろにならないと赤ちゃん出てこないと思いますから、一度帰ってお休みになったほうがいいですよ」
と言われたのであるが、そこで「はいそうですか」と帰ってしまうのはあまりにも冷たいのではないだろうかと思い戸惑っていると、看護婦さんはそれを察したらしく、
「奥様とお話しになりますか?」
ときいてきた。
分娩台の上の妻は、こりゃどーもまいったな、というような困った系の笑顔を浮かべながら、
「大丈夫だから帰って寝ていいよ。今日も仕事なんだから」
と言った。
ようやく僕は、後ろ髪を引かれる思いではあったがそこで帰ることにした。お昼頃生まれるのであれば昼のニュースが終わった後すぐに帰らせてもらえば生まれる瞬間に間に合うだろうと、希望的観測を持っていた。
17日の昼のニュースの打ち合わせの最中、午前9時過ぎに僕の携帯電話がなった。まさか、と思ったが妻からであった。まさか、と思ったが生まれたとのことであった。もうニュースどころではなく、一刻も早く帰りたい気持ちで一杯だった。
結局詩央はあっけなく7時50分に生まれてきた。僕はちょうど通勤電車の、北千住のあたりにいた頃だ。妻の妊娠中に、僕は妻のお腹をなでながら、
「いいか、かーちゃんをあんまり苦しめるんじゃないぞ。出たくなったらスポーンと出てこい」
と何度も話しかけていたのだが、まさしくその通りに生まれてきたのだな、と思った。

その日の2時過ぎにやっと詩央に会うことができた。初めて見る自分の子供は、何とも頼りなくて危なっかしくて、それでも力強く拳を握り締めながら小さい体で妻のおっぱいを一生懸命吸っていた。
それからあっという間の一年である。現在詩央は風邪をひいていて、タンがからんだような咳をしながら鼻水をズルズル垂らしている。その風邪が見事に僕にうつってしまい僕も息をするのがしんどいのだが、まだまだ1才の詩央は僕の何倍もしんどいのだろうな。それでも相変わらずあちこちに動き回ってイタズラの限りを尽くしているのだから憎たらしいことこの上ないが、おもちゃの自動車にまたがって、
「どーだとーちゃん、かっこいーだろー」
と得意げな顔をしてみせる詩央に、思わず、
「頑張って生きていこうな!」
などと、なんともこっ恥ずかしいことをつぶやいてしまうとーちゃんなのであった。
(1998.6.22)
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