小僧物語

   〜子供にしか見えない世界は確かに存在する!〜

 どうも子供には大人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえているのではないかと思う。詩央のあやしい行動の数々を観察していると、妙にキッパリとそう言い切れてしまうのである。

「子供ってさ、絶対大人には見えないものが見えてたり聞こえないものが聞こえてたりするよね!」

と、同僚の茅原ますみママアナウンサーに確認をとったところ、彼女は、

「そーなのよ、うちのゆーのすけはお風呂入ってる時に突然『もう出る!』とかいって窓の方を見ておびえたりするのよねぇ!」

とやけに力を込めて話してくれたが、僕が言っているのはそういうオカルト的な話ではなく、もっとメルヘンチックな、言葉を変えるとガキっぽいレベルの話なのだ。

 とりあえず現実的な赤ちゃんの視力について述べると、ものが見え始めるのは2ヵ月過ぎなのだが視力は非常に弱く、6ヵ月の赤ちゃんでも0.2あるかないかぐらい。僕は両方とも0.1に満たないので、矯正してない状態だと身をもって詩央の世界を体験できるわけだ。子供の視力が完成するのは3〜4歳で、その頃にようやく1.0に達するということだ。なんて育児書の受け売りで書いてはみたが、一体どうやって6ヵ月の赤ちゃんの視力測定をしたのだろうか?

 生まれたての赤ちゃんはほとんど何も見えてないということになるが、目を開けることも滅多にないので別に問題はないのだろう。詩央も生まれてしばらくはずっと目を閉じっぱなしで、たまに開けても片方しか開けないものだから、とーちゃんは、

「もしこのまま片方の目しか開かないようだったらどうしようか」

とかなり心配した。なんとしてでも両目が開くのを見ようと、逆にこちらが目を皿のようにして観察してしまう有様であった。おかげでなんとか両目が開くのを何度か確認できたのだが、1ヵ月過ぎまで片目しか開けない時が多かった。ちょうど1ヵ月を迎えた時、妻が所属していたジャパンエナジー・サンフラワーズの寮に詩央を連れて行って御披露目をしたのだが、その時妻の後輩の選手があわてふためいて妻に、

「カナさ〜ん、この子片目しか開けないですよ〜。きっとまぶたがくっついちゃってるんですよ〜」

と言った。

「大丈夫、大丈夫。ちゃんと開けるときは開けるから」

と説得しても彼女は譲らず、

「だって全然左目を開けないんですよ〜。絶対くっついちゃったんですよ〜」

と、半分泣き声で言い続けていた。考えてみれば1ヵ月前は自分がそういう心配をしていたんだから、まあ、仕方のないことである。

 まわりに何があろうとも全く関心を示さなかった詩央だが、1ヵ月を過ぎた頃から目が見えはじめたという兆候が現われた。はじめに僕が気がついた変化は、詩央の寝床に置いておいたスヌーピーのプレイジムの、キャラクターのシールが貼ってある赤い回転板がクルクル回るのを不思議そうに見つめたことであった。その後、特に赤というはっきりした色の物には反応するようになっていった。

「こいつは丑年だから赤いもの見ると興奮するんだ」

などと妻と笑いあったりしたが、見え始めたばかりの赤ちゃんはやはりはっきりした色の物のほうが見やすいようだ。だから赤ちゃんというのかもしれないな。

 そのうち暗闇に光る電気をジーッと見つめたりするようになった。ここまではわかる。コントラストがはっきりしているものの方が目に止まるのは当り前の話だ。しかし、2ヵ月を過ぎると今度は夜の暗い部屋の天井をジーッと見つめながら、

「アー、アー、ヒャヒャッ」

とかなんとか笑ったりするようになった。これは一体何事なのだろうか。一緒になって真っ暗な天井を、眼鏡をはずして見つめてみるのだが、

「アー、アー、ヒャヒャッ」

と笑いたくなるようなことは何もないのだ。謎は深まるばかりであった。

 しかし意外に早くその答えがわかるときが訪れた。それから10日ほどたったある休日のこと、僕と妻と詩央と、そして僕の母親と妹の5人でちょっと時期をはずれた墓参りに行った帰りのことである。母が勤めるステーキレストランで食事をしようということになり、二階の座敷にあがった。そのレストランは信州のほうにあった蔵をそのまま使っているお店で古きよき日本を感じさせる造りになっている。詩央はふかふかの座布団の上で横になりながらもやはり天井の片隅をジーッと見つめてうすら笑いを浮かべていた。

 我々の目の前のテーブルには別の家族連れが食事をしていた。そこに3歳くらいの女の子がいて、しばらくテーブルの回りをキャハキャハ言いながら走り回っていたのだが、突然天井の片隅に目を奪われたまま動かなくなったのだ。

「なんだなんだ、詩央と同じ行動をとっているぞ。一体何があるというのだ!」

と、僕もその女の子や詩央が見ている方を見てみるのだが、ただひたすら天井があるだけだった。

 すると突然その女の子が、

「まっくろくろすけがいる!」

と叫んだのである。

 今笑った人、あるいは馬鹿にした人へ。あなたがたの反応は極めて正しい。大人の常識として、『となりのトトロ』なんていうのは全くのフィクションであり、そこに登場する生き物は実際にはこの世に存在なんかしないのだ。したがってこの女の子の「まっくろくろすけがいる!」

という発言は大人にいわせれば他愛のないウソということになる。

 でももしかしたら、子供には子供だけにしか見えない世界があるんではないだろうか。そして『トトロ』とか『まっくろくろすけ』っていうのは、その『子供の世界』には実在しているんじゃないだろうか。大人もかつて子供だった頃にはそういう世界が見えていて、少しずつ現実の世の中がわかってくるにしたがって、夢とか希望とかいう言葉を失いながら、『子供の世界』を見る力も失っていくんではないだろうか、

なんてことをその時に考えてしまったのですね。もしそうだとしたら、大人になるっていうのはなんだかちょっと悲しいことだな。

 ともあれそれからしばらくして詩央は、家にあるミッキーマウスやミニーマウス、

ドナルドダックやシーパラシータのぬいぐるみに興味を示すようになった。それらのぬいぐるみを目につくところに置いておくと、天井の片隅の時のようにしばしジーッとみつめたあとで、

「アー、アー、クフーッ、ヒャアーッ、アー」

という意味不明の声をぬいぐるみに向かって発しているのである。これだって大人の耳には全く意味を持たない音にしか聞こえないのだが、もしかするとぬいぐるみの声が子供には聞こえていて会話をしているのかもしれない。

 例えば、

「よお、おまえ新入りだな。名前はなんてぇんだ?」

「アー、アー。(俺は詩央っていうんだよ)」

「そうかい。俺はシーパラシータだ。この家のぬいぐるみの中では一番大きいんだぜ。」

「ウー、ウックー、ハフー。(そうなのか。でも俺だってみんなに大きいって言われてんだぜ)」

「まあ、大きい同志、仲良くやろうじゃねぇか。」

「アー。(ああ、そうしよう)」

「ところで、おまえのとーちゃん、頭悪そうだな。おまえも苦労するぜ。」

「ウーッ、クフーッ、アー、アー。(まったくそうなんだよ。俺もとんだとーちゃんのもとに生まれちまって、後悔してんだよ)」

なんて、自分で書いているうちにムカついてきた。事の真相を明らかにするために、子供の頃の気持ちを取り戻していつかぬいぐるみの言葉を聞けるようになってやろうと思う。

                               (1997.11.1)

このページについてのご意見ご感想はこちらjohnny@ra2.so-net.or.jpまで